UbuNtu -I am, because of you-

青年海外協力隊としてアフリカ・マラウイから帰国した管理栄養士によるブログ。栄養のことはもちろん、好奇心の赴くまま生き方の多様性について書いていきます。

ザンジバル滞在記9/2

本日も束の間のOFF
今日はザンジバルの負の歴史を学びに奴隷博物館へ

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入口正面は小綺麗でしたが、中は多少クモの巣あったり、、
やっぱりアフリカです 
15世紀から19世紀にかけて行われた、人類史上最悪の人身売買
しかし、この奴隷貿易の仕組みがかなりビジネスとして洗練されていたようだ
ヨーロッパの奴隷商人たちは、ヨーロッパの港で

1.鉄砲、ガラス製品、鉄の塊、綿織物、ジン(強い酒)を船に積み込む

2.このヨーロッパ品を西アフリカまで運ぶ

3.先のヨーロッパ品を奴隷と交換する

4.奴隷を南北アメリカまで運ぶ

5.奴隷をアメリカの砂糖、コーヒー、綿花と交換する

6.このアメリカ品をヨーロッパまで運ぶ
整理すると、

①ヨーロッパ → ②アフリカ → ③アメリカ → ①ヨーロッパ

つまり、奴隷貿易はヨーロッパ、アフリカ、アメリカの三角貿易だった
16世紀から17世紀にかけてポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリスは、アフリカの奴隷海岸に次々と城塞を築いた
アフリカの黒人奴隷を買い取り、保管し、積み出すため
では、どうやって、黒人奴隷を調達した?
先ず、アフリカの有力部族が、近隣の弱小部族を襲い、住民を生け捕りにして、奴隷としてアフリカ商人に売り飛ばす
次に、アフリカ商人は、奴隷が高値で売れるよう、身体を念入りに油で塗った後、キャラバン隊を編成
奴隷海岸にあるヨーロッパの城塞まで運ぶ
そして、できるだけ高値で奴隷を売りつけた
奴隷を捕獲するアフリカ部族、それを運ぶアフリカ商人、それを買い取る奴隷商人
さらに、奴隷を消費地まで運ぶ奴隷貿易
くわえて、経営を安定させるための三角貿易
この時代の奴隷貿易と奴隷市場は、地球規模でネットワーク化された複雑なシステムだった
それほど投資をしても元が取れたことになる
ここザンジバル奴隷貿易の拠点として使われ、1873年まで続いていた

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大聖堂の地下には奴隷の一時保管場所があり
この狭苦しい中に詰め込められた奴隷は身動き取れず

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糞尿は下のスペースへ垂れ流しだった様子
劣悪といっても言い過ぎではない環境下で疫病にかかる者も多く
生き延びても過酷な船の旅があり
そのを生き抜くと本当の地獄、奴隷として一生こき使われる
当時のモニュメント↓

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手脚を繋がれ、首輪を付けられた姿は人にあらず
人間の取り引きにレシートが使われていた↓

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ザンジバルは今でこそ観光地化されているが、こういった負の遺産のうえに成り立っていることを忘れたくない
もう一つザンジバルには日本人が関わった負の遺産があるが、それを書くと重過ぎるのでまた後日、、
 
【Today's Jun】

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疲れ果てて寝てしまったが、この後、蚊に刺されまくるとは本人も知らない、、
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